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主要な価値創造モデルとその評価(78):戦後日本のドル収入最大化モデルー24

 今年も今日でおしまいです。今日の分を含めるとこの1年で55回ほど記事を書くことができました。何とか「平均毎週1回」という目標が達成できました。
 このシリーズの21回目に、1970年から1990年までの日米大企業の収益性の比較表を掲載しました。その時示した二つの収益性指標の内、今回は日本のROEの推移についてコメントします。1970年には14.9%もあったROEですが、その後は売上利益率と同様に、ほぼ一貫して低下を続けました。ただ、売上利益率と異なり、1970年代の半ばまで日本企業のROEは二桁台の高さにあり、74年まではアメリカを上回っていた点が、売上利益率と異なります。
 長年ROE最貧国と言われてきた日本ですが、この表を見た読者の多くは、日本企業も当時は株主価値を重視した経営を行っていたのだと思うかもしれません。そうではありません。高かったROEは、日本企業が戦後一貫して行ってきた低収益経営を金融的に支えた間接金融制度、メインバンク=大株主と金融機関による株式の政策的安定保有、それと裏腹だった額面発行増資、安定配当制度がもたらしたものなのです。
 今では死語に近い額面発行増資ですが、1970年代初めまでは株式資金調達の90%前後が、株主割り当て、額面発行増資によって調達されていました。そして、額面発行と不可分の関係にあったのが、額面あたり一定率の配当、つまり固定的な1株当り配当主義でした。当時の優良大企業に期待された財務政策は、額面に対して10%、50円額面企業の場合1株当り5円配当を安定的に続けることでした。鉄鋼、電力、大手銀行をはじめ、日本の多くの企業は額面50円、配当率10%、1株当たり5円配当を原則としていました。業績が悪化した局面では一時的に6-8%程度への減配もやむを得ないとされましたが、業績が回復次第速やかに10%に戻すことが強く要請されていました。もちろん中には10%以上の高率配当を行う企業もありましたが、大部分の大企業は8ないし10%の配当率を安定的に維持していました。
 額面増資時代は安定配当政策が強く要請されましたから、増資が可能かどうかは増資後に従来通りの配当を続けるだけの利益が見込めるかどうかに大きく依存していました。配当は原則として当期税引き利益の範囲で行われますから、増資後も現行の1株当り配当金を支払うだけの税引き利益を上げられなければ、増資は困難でした。したがって当時は「平均払い込み資本金税引き利益率」が、株価形成上非常に重要視されたのです。10%配当を前提に考えると、半額増資なら資本金利益率が15%以上、倍額増資なら20%以上に高まるという確信がない限り、困難でした。もっとも忌み嫌われたのは、増資した結果配当の原資になる税引き利益が十分増えず、結果的に減配しなければならなくなる、「増資減配」と呼ばれる事態でした。
 このように、当時の制度の下では、株式資本は疑いもなく非常にコストの高い資金調達手段でした。仮に配当率を10%とすると、増資による手取り金の資本コストは少なくとも税引き後10%になり、実効税率を50%とすると、税引き前では20%以上にもなったのです。低収益経営の下では、資金需要の大半はコストの安い負債で賄い、増資な極力回避するというのが常識でした。この結果、日本の大企業の自己資本比率は一貫して低下を続け、70年代初めには20%を切る状態でした。これを見た欧米の専門家は、「日本の大企業の多くは、明日に倒産してもおかしくないほど借金過多だ」と指摘していました。」」


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