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主要な価値創造モデルとその評価(74):戦後日本のドル収入最大化モデルー20

 前回から少し間が開いてしまいましたが、戦後日本のドル収入最大化モデルを続けます。日本は太平洋戦争に敗れたとはいえ、当時5大工業国の一つでした。したがって、戦後開かれた国際市場が出現した時、日本は産業知識、生産技術および労働の質的レベルにおいて、アメリカをはじめとする一部の先進工業国としか競合しない、ハイエンドな工業セグメントで勝負することができたのです。そして、戦争前には1ドル=4円だった為替レートが、ブレトンウッヅ体制の下では安定的に1ドル=360円に固定されたことによって、日本の戦後復興と高度成長がほぼ約束されたのです。というのも、このレートの下では、欧米先進国と同様な工業製品を、アメリカの約4分の1の労働コストで生産できたからす。
 もっとも、戦後しばらくは安価で良質な労働力ですぐに参入できる軽工業、繊維工業、玩具などの製品が、ドル獲得の柱でした。しかし、戦後インフレの下で日本人の賃金水準は年々上昇し、比較的付加価値の少ない上記の産業分野の比較優位は次第に失われて行きました。そこで、このシリーズの第13回で紹介したように、通産省主導の下で、わが国産業の重化学工業への大々的シフトが行われたのです。
 その中で引用した当時の通産次官だった大慈弥氏の言葉で言えば、「安い労働力の代わりに、資本と技術を集約した重工業、例えば鉄鋼、石油精製、石油化学、自動車、飛行機、工作機械、コンピュータを含めたエレクトロニクスなどを盛んにしようと決めた」のでした。これらの分野は世界レベルで持続的に需要の拡大が見込まれ、そこで顧客を開拓して、マーケットシェアの維持、拡大に成功すれば、持続的に輸出が拡大し、ドル獲得が約束されたわけです。そのための合言葉が、「いいものを、安く、大量に」でした。開かれた市場では、競争相手国よりもより「品質やサービスのいいものを」、「より安い値段で」提供すれば、日本製品は必ず大量に売れて、重点投入したドルを大きく上回るドルが獲得できたのです。
 1ドル=360円の下では、世界中から必要な原材料を輸入し、高いロイヤルティーを払って先進技術を導入しても、勤勉で優秀と言われた日本の技術者や労働者を動員して価値を加え、安価に輸出しても何とか利益を出して拡大再生産を続けることができたのです。
 こうして日本は世界に冠たる高度成長を実現したわけですが、日本がIMF8条国に移行した1970年代の初めには、良質で安価な労働力の比較優位性は、ほぼ消滅したのです。そこで労働コストに代わって国際競争の強力な武器になったのが、日本的経営の柱ともいうべき「低収益経営」でした。大企業が持続的に資本や原材料を調達し、優秀な人材を雇用し続けることができるために、必要とされる資本収益率のことを、専門的には「資本コスト」と言います。その資本コストが競争相手よりも低ければ、それだけ売値を引き下げ、あるいは品質やサービス向上のために追加のコストをかける余地が広がります。それによって、引き続き「良い物を、安く、大量に」輸出する戦略を続けることが可能になったのです。」」
 
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