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主要な価値創造モデルとその評価(82):戦後日本のドル収入最大化モデルー28

 前回の続きです。額面発行時代に安定配当が額面の10%、50円額面銘柄なら年5円配当が基本とされた背景を考えてみたいと思います。それは株式資本の安定的提供者であった金融機関大株主が、増資に応じる条件として本業の実効運用利回りを下回らない配当利回りを必要としたことにありました。これは特に運用利回りで経営を問われた生保や信託銀行によって重視されました。当時これらの金融機関の運用の中心は中長期貸付であり、高度成長時代の実効貸付利回りは、10%前後になっていたと考えられました。このため、増資の際の払込金額に対する年利回りが10%あるいはそれ以上になることが、持続的に増資に応じるための最低条件だったのです。これらの機関投資家は、原則として市場で売買することによって値上がり益を実現することはしませんでしたから、配当金が利回りの主要な源泉だったのです。
 大株主としてのメインバンクは、信託や生保ほど運用資産の実効利回りを厳しく問われたわけではありませんが、投資額を簿価で認識し、それに対して安定的に10%、あるいはそれ以上の配当利回りが得られる仕組みは好都合でした。銀行は基本的に貸し付けという確定利付き債権での運用を本業としており、株式がハイリスク・ハイリターンのリスク証券ではなく、疑似確定利付き証券として位置づけられた方が、経営的に便利だったのです。
 これらの安定株主にとって、50円払込み、5円配当の株式の投資価値は、理論的にいくらと考えられたでしょうか。これは、財務理論で5円キャッシュフローの無限の流列を必要収益率、すなわち10%で割り引いた現在価値に相当します。5÷0.1、すなわち50円です。したがって、50円という額面が理論的な価値に相当したのです。
 しかし実際の株価は、おおむね100円台で形成されていました。これを考える上で重要なのが、当時の日本の株式保有構造と、流通市場形成でした。つまり株式の大半は市場で売買しない機関投資家によって保有され、その期待リターンは10%前後の「安定配当利回り」でした。一方、市場株価は主として短期のトレーディング動機の個人投資家だったのです。このシリーズの第71回で紹介したように、その当時銀行の定期預金や長期国債の利回りは、年率5-7%程度でした。機関投資家のように10%を安定的に得られる投資対象はありませんでした。つまり、当時の日本では、投資の期待リターンに関して、決して市場均衡水準が一律に決まるような状況ではなかったのです。
 そこで、説明のための単純化として、個人投資家の株式に対する期待利回りが5%だったと仮定しましょう。すると同じ50円払込み、5円の安定配当が期待できる株式の、理論価格はどうなるでしょうか。割引率が10%ではなく5%と低いわけですから、5÷0.05=100円となります。つまり同じ特性を持った投資対象が、機会リターンの低かった個人投資家にとっては、100円の価値を持っていたのです。そして額面と市場株価の差額は「含み益」と呼ばれました。市場株価がほとんど常に額面をかなり上回っており、増資に応じるごとに含み益が増えていくシステムは、銀行やほかの機関投資家にとっては、株式というリスク証券を抱える上でまことにありがたい状況だったのです。」」
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