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主要な価値創造モデルとその評価(86):戦後日本のドル収入最大化モデルー32

 前回取り上げたように、日本が世界第2の経済大国になり、日本的経営が世界中でもてはやされた1980年代を通じて、欧米の投資資金が持続的に日本に流入しました。これは強いドル売り-円買い圧力を生み、円レートは80年代を通して切り上がっていきました。80年代前半は200-250円のレンジにあった円レートは、半ばから後半にかけて急速に上昇し、80年代末には100円近辺まで円高が進みました。
 こうした持続的な円高圧力の下でも、日本の成長を担った輸出大企業は、収益性をさらに犠牲にしても、輸出競争力を維持しようとしたのでした。その結果、日本の大企業のROEは80年代初めの10%前後の水準から徐々に低下し、1990年には7.7%まで低下していたのです。
 このように長期的に低下トレンドにあった日本企業の収益性は、90年代に入ってバブル経済が崩壊するにおよび、壊滅的なダメージを受けることになりました。1989年末の株価下落に始まったバブルのj崩壊は、90年代に入ると急な坂を転げ落ちるように深刻になっていきました。80年代後半の株価の高騰は、企業や金融機関の持つ持ち合い株や不要不急の不動産価格の高騰を反映した部分が大きかったのです。本業関連の資産以外にこうした非生産的な資産に巨額の投資を行ってきた大企業や金融機関のバランスシートは、株価、地価の暴落を受けて急速に劣化したのです。
 バブルの崩壊に拍車をかけたのが、日銀の金融政策の急変でした。80年代いっぱい日銀は、アメリカからの圧力もあって、超金融緩和的な政策をとってきました。しかしこれが株価地価バブルを膨らませる大きな原因になったという批判を受け、遅ればせながら90年代の初めから急速な引き締めに転じたのです。80年代を通して二桁の伸びを続けたわが国のマネーサプライは、90年代に入るとゼロ%内外の低成長に転じたのです。この結果わが国の経済活動や企業の投資活動は急速に冷え込み、今日まで続く長期デフレ経済に突入していったのです。
 右肩上がりの経済環境を前提に、持続的な円高圧力の下でマージンを削ってきた日本企業の多くは、売り上げが伸びない新しいデフレ的環境の下で、フロー面でも大幅減益や赤字に陥るところが続出しました。こうして、わが国の企業経営は、フロー、ストック両面で、未曽有の危機に直面することになったのです。企業の平均ROEは90年代に入るとさらに一段と低下し、90年代末には全体の平均がマイナスになるという、前代未聞の危機に陥ったのでした。
 こうして我が国の産業界では、本格的な業務、財務のレストラクチャリング、伝統的な企業集団を超えた合併、買収といった激変の時代を迎えたのです。外国の投資会社や買収ファンドによる破たん企業の買収、救済、立て直しも、日常茶飯事になっていきました。その動きの中で、戦後日本の安定的成長を支えたメインバンク=大株主制度を柱とする間接金融制度、従業員・経営者運命共同体的な「人本主義」経営も大きく破綻し、その基盤であった終身雇用制度、年功序列制度もまた、なし崩し的に放棄され始めたのです。」」
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