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主要な価値創造モデルとその評価(81):戦後日本のドル収入最大化モデルー31

 前回は日本企業の株式市場における評価は、1970年代半ばから80年代半ばにかけて、利回り重視の安定配当・額面発行ベースから、1株当たり利益の期待成長の基づく、PERベースの評価に変わっていったことをお話ししました。その基本的考え方は、1株利益成長の期待値が高い銘柄には、それにふさわしい高いPERで評価すべきだ、というものでした。それを主導したのは、マクロ経済の成功に裏付けられて、大挙して日本株投資を始めた欧米の機関投資家でした。
 日本経済は戦後復興から高度成長期を経て、徐々に成熟してきていました。実質経済成長率は60年代には平均10.4%でしたが、70年代には5.2%へ、そして80年代には4.4%へと減速しました。それでも当時の世界経済の中で、日本は相対的に最もマクロ・パフォーマンスが優れていると評価されていたのです。そしてそれからの類推で、欧米の機関投資家の間では日本の大企業の利益成長率も非常に高いに違いないという、強い思い込み、もっと言えば誤解が定着していたのです。実は日本企業の資本収益率ROE)は低いままで、むしろ80年代に入るとさらに下落し続けたのです
 。一方では時価発行の普及で急速に安定配当制度は崩れ、株式資本払込み利益率を10%以上に保つ必要もなくなりました。時価発行によって企業の手元には額面を上回る手取り金が大きく膨らみ、その大半は配当ではなく内部留保の拡充に回されました。株価の急騰と相まって、配当利回りは急速に低下に向かい、20%前後まで落ちた自己資本比率は40%近くまで上昇していきました。
 このブログで何度も解説したように、1株当たり利益の成長は、ROE×(1-配当性向)で推計されます。したがって、時価発行の普及による内部留保率、つまり(1-配当性向)の高まりは、1株利益の期待成長率にとってはプラス要因ではあります。そこで、ROEの低下というマイナス要因と、内部留保率の向上というプラス要因の綱引きの結果、1株利益の期待成長率がどのように推移したのかを、60年代から90年にかけて見たのが、次の表です。データは、日本政策投資銀行の主要企業財務データによっています。
            ROE(%) 内部留保率(%) 1株利益
                               期待成長率(%)
61-65年平均   9.0      31         2.8
66-70年平均  11.4      46         5.2 
71-75年平均   9.5      47         4.5 
76-80年平均   9.6      58         5.6     
81-85年平均   8.5      62         5.3
86-90年平均   7.9      64         4.6
 
 このように、わが国大企業のROEは、70年代をピークに、はっきり低下トレンドをたどったのです。とりわけ株価が急騰した80年代には、一けた台に落ち、90年には7%強まで低下したのです。したがって、高騰した株価は、決して企業のファンダメンタルズの裏付けがあったとは言えませんでした。
 株価は1株当たり利益×PERで示されます。もし当時の株価の急騰が1株利益の高い成長を反映していたのではないとすれば、それは単に株式市場がファンダメンタルズの悪さを無視して、ムード的にPERを高水準に押し上げた結果に過ぎないということになるでしょう。そこで、70年から90年にかけての日本企業の平均PERの変化を、アメリカとの比較で見て見ましょう。
  日米大企業の平均PERの推移(倍)          
           アメリカ   日本
1960年      17.7 
1965年      16.8 
1970年      16.5     10.8
71-75年平均  18.7     17.3
76-80年平均   8.5     20.3
81-85年平均   8.5     25.5
86-90年平均  14.9     50.1
 
 ここに示されるように、日本企業のPERは、ROEが持続的に低下する中で、右肩上がりの上昇を続けたのでした。そしてバブルのピークでは、平均が50倍という、持続不可能な高水準にまで上り詰めたのでした。バブルの崩壊とともに、日本の株価の大暴落は不可避で、十分予測可能なことだったのです。一方アメリカの平均PERは、70年代半ばまでは安定的に10倍台の高い所で形成されていました。しかし70年代後半からの10年は、長い株式不振の時代が続き、PERは一けた台が続きました。そしてようやく80年代の後半になって、再び10%台半ばまで回復したのでした。
 このように、日本企業の低収益経営体質は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称賛されて始まった1980年代も変わることなく、むしろ打ち続く円高圧力の下で輸出の伸長を持続させる手段として、さらにその傾向を強めて行ったのでした。」」


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